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再び軍団化
ホークⅢも撤去され上野のイベント狙いを中心に日々立ち回りをしてました。
この頃は大体ピンか一人打ち子を雇って動いてました。
月間収支としてはぼくが70万円くらいで打ち子が30万円くらいでした。
鬼浜とか俺の空とかいみそーれとかは4号機の中でもギリギリまで設置できるらしく再導入されてました。いみそーれはゴトがめちゃくちゃ流行ってたので店員が後ろにベタ付きでしたねw
俺の空は4号機の中じゃ俺タイム中にリプレイ引けなくてイライラした記憶しかないw
打ってた機種はほぼ5号機のARTハイスペック機、スパイダーマンとかリンかけとかガッチャマンとか。ガッチャマンは設定めちゃくちゃわかりやすかった。スパイダーマンとかリンかけは設定判別難しかったから店のクセがけっこうはっきりしている所でしか打たなかった。
当時大学は卒業してたけど、まだ大学の後輩とかとのつながりはあってみんなけっこうバイトしたがる。正直ぼくはバイトはその時そこまで求めていなかったけど強がって俺のとこくれば面倒見てやるばりに全面的に受け入れてたw
その結果・・・
メンバー10数名を超えエスパスがっくん時代よりも多くの打ち子を抱えてしまったのであったw
エスパスがっくんの記事はこちらです。
10数名を超えるとさすがに一人じゃ管理しきれない。打つことしかできないレベルの打ち子なら3人とかでも1人じゃ管理できないw
という訳で元々打ち子をやってた子とかはピンでもそこそこ立ち回れそうな実力もあったので打ち子から管理側へ。あとは他の専業にちょっと手伝ってもらってなんとかなった。
とはいえ通常営業の上野で10数名は正直無謀w
手伝ってもらった専業は川崎とかを中心に立ち回っていたのでそっちに何名かいってもらってた。
当時の川崎
今はかなり寂しい稼働になっちゃったと思うけどタイガー7とかは当時超人気店だった。
楽園もまだなかったからね。たしか2007年の冬にオープンしてその時は上野ほったらかしで全員でしばらく川崎に住みこみで稼働してたw
ガイアは当時は今以上にぼったくりイメージが強かったけど川崎のガイアだけは別格で出てたwはじめて川崎のガイアにいった時はガイアって名前なだけで別の法人だと思ったものw
あとはマタハリーの本拠地なのでPIAだけで5店舗くらいあってベルシティもあったので楽園グランドからしばらくは上野より全然勝てたね。
9時開店の川崎地域と10時開店の蒲田地域が攻められたから効率もよかったので上野よりも川崎で打つことがだんだん増えていった。
最初の月は打ち子をうまく扱えず人件費で200万近くかかってたからスロプ人生3度目くらいのマイナスをくらったw就職してからは打ちにいく回数が激減したので月間収支マイナスは年に2~3回あったけど当時はそれ一本だから一ヶ月でマイナス収支なのはかなりへこんだ。といっても負けた理由が人件費と管理体制不足と明確だったので対処して次月からはプラスに持っていくことができた。
2007年の後半は軍団をうまく機能させることができたおかげで月収100万は余裕って感じだった。
店内全部が全6のお店
あと当時は店全部設定6をやるお店が関東のどこかで半年に一度くらいあった。
なんとか稼働を取り戻そうと一発逆転を狙って仕掛けてくる店舗が多かったね。その後ほぼ半年以内につぶれるんだけどw
だいたい情報を聞きつけて集まったプロ軍団だらけ、県外ナンバーだらけになるんだけど何故か並び順のお店がほとんどだった。
全6告知されているから当然みんな深夜から並ぶんだけど夏は暑いし冬は寒いし、何より暇じゃん?
だから周辺住民のふりして警察に連絡を入れるんだよね。
「あそこのパチンコ店がうるさくて眠れない」って
そうすると警察が来て店員と話すわけ。
解散させたいけどこの状態で解散させたら暴動起きるわけ。
なので整理券が配布されて解散w
暖かい車内で寝られて設定6が打てるチケットゲットw
当時の情報収集手段
当時はまだピーワールドのメールとピーワールド内の情報が外部から情報を得るほぼすべてって感じだった。だからぼくは関東のパチンコ屋さんのメールはほぼすべて入会してた。
一日に1,000件以上のメールが届くのですべてを見るのなんてもちろんムリw
なので全6とか特定のワードが入ったメールを自動振り分けするように設定してた。
そうすることで価値のある店舗の情報だけをうまく集められていました。
今は全6なんてワードはもちろん使えないし、特定機種を示唆するだけでも行政処分の対象になっちゃうからねぇ。地域によって温度差はあるけど。
2007年も終わりへ
2007年も間もなく終わりを迎えようとしていた。
4号機は2007年の10月には全滅していてホールには5号機のみとなった。
確かに出玉速度は落ちたけどリンかけやスパイダーマンなどに続いて、
- マーベルヒーローズ
- マジカルハロウィン
- 赤ドン
などなど次々とスペックのいいART機が出てきて5号機いけるんじゃない?って感じが出てきたいた。
ノーマルタイプもアクアビーナスとか新世紀エヴァンゲリオン~まごころを君に~、通称”エヴァまご”とか名機が多かった。エヴァは台数もかなり入っていたから何回設定6を打ったかわからないほどつもった。設定判別もしやすかったから打ち子の練習機としては非常に優秀だった。
この頃はスロットで貯金をこのまま作って投資などに手を出そうと考えていた。
ぼくのスロット専業生活も終わりに近づいていた。
今回は以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございます。
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